歴史
当寺は、寛文年間(1660年ごろ)に雲松山洞泉寺として草創され、明治3年、藩主の命により廃仏毀釈のために廃寺となるまで、9代の住職により臨済の法燈を伝えていました。
明治26(1893)年、旧寺の檀信徒が集い、寺院復興を発願し、明治39(1906)年には中津川市大林寺の末寺として高安寺5世絶學祖廣大和尚が開山となり、祖岳院春山恵明大姉が浄財を投じて建立されました。
寺号「自法寺」は、静岡県大円寺5世久岩全良和尚創建の「自法庵」を移籍したものです。また、大正2年には大本山總持寺貫首大円玄致禅師より「祖廣山」の親額を賜りました。
その後、しばしば無住の状態を経ながらも、昭和に入り、瑞浪市日吉、開元院、逸見智勇の弟子である小栗隆禅が晋住し、伽藍の復興を志すも、大東亜戦争(太平洋戦争)に召集され、昭和19(1944)年4月、悲願むなしく南方戦線において戦死。
5世隆輝代に至り、昭和54(1979)年には梵鐘再鋳と鐘楼堂建立、平成2(1990)年秋には本堂新築落慶、平成13(2001)年春には庫裏の新築落慶がなされ、寺院の威容を整えるに至ります。
【世代】
開山 絶學祖廣
2世 天外祖英
3世 大法智勇
4世 大洞隆禅
5世 大智隆輝
6世 大學隆博(現住)